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今は昔、にょろがわといふもの、尿路の石を退けてより、朝夕に水を飲み、つつがなく暮らしけり。
されど、石に苦しめられし記憶は深く、道に小石あれば避け、庭石を見れば一礼し、碁石を見ても腰を引くほどになりにけり。
ある宵のこと、にょろがわ、町外れの道を歩みけるに、一本の電柱、夜闇の中にほの白く光りたり。
「怪しきことかな」
と思ひて近寄り見るに、電柱の中ほどに小さき裂け目あり。その裂け目より、金色の光さし出でたり。
にょろがわ、かぐや姫の昔語りを思ひ出し、
「さては、この中に世にも美しき姫など住み給ふか」
と胸をときめかせたり。
されど、電柱は竹より太く、切るにも鋸なし。
ゆゑに、道端に落ちたる傘の柄を拾ひ、裂け目をつつきたり。
すると電柱の中より、
からん。
と音して、ひとつの石、落ち出でたり。
石は梅干しほどの大きさにて、月の光を受け、青白く輝きたり。
にょろがわ、これを見るや、顔色を失ひ、
「石」
と言へり。
石、答へず。
「なぜ電柱より出づる」
石、なほ答へず。
「竹より姫が出づるは聞きしことあり。されど電柱より石が出づる物語など、誰が喜ばむ」
と言ひて逃げむとしたるに、石、にわかに震へて声を発したり。
「にょろがわ殿」
にょろがわ、腰を抜かしたり。
「石が名を呼びたり」
「さやう」
「石が申したり」
「さやう」
「頼む。二度と我が体内には入るな」
すると石、ころころと転がり、にょろがわの足元に近寄りたり。
「我は月の都より遣はされし石なり」
にょろがわ、さらに後ずさり、
「月にも石は足りてをらぬか。空を見れば、あれほど岩だらけに見ゆるに」
「我は月の使者なり。そなたを迎へに参りたり」
「誰を」
「そなたを」
「どこへ」
「月へ」
にょろがわ、しばし黙りたり。
やがて石を両手に取り、額を地につけんばかりにして言へり。
「それだけは、どうか勘弁して給へ」
石、驚きて、
「月の都は清らかにして、老いも病もなきところぞ」
「尿路結石もなきか」
「おそらくは」
「おそらくでは困る」
「地上の苦しみを捨て、永遠の命を得ることもできむ」
「永遠に水を飲み続くるのは苦しからむか」
「水など飲まずとも生きらるる」
にょろがわ、これを聞き、少し心動きたり。
されど、月を見上げれば、まるく白く輝き、その表面には無数の石の影あり。
にょろがわ、震へながら問ひたり。
「月には、石、多きや」
「大いに多し」
「いかほど」
「野も山も谷も、ほぼ石なり」
にょろがわ、石を地に置き、深々と頭を下げたり。
「頼む。そなたのみ月へ帰り給へ」
「されど我は、そなたを連れ帰る使命を負ひたり」
「我は地上を愛してをる」
「先ほどまで月の都に心動きし顔をしてをりしが」
「今、地上への愛に目覚めたり」
「まことか」
「地上には川あり、海あり、井戸あり、水道あり。月には水道料金の請求書すらあるまじ」
石、しばし考へたり。
「確かに、月に水道はなし」
「されば帰り給へ。月へ帰りて、仲間の石どもに伝へよ。にょろがわは達者なり。迎へは無用とな」
石、寂しげに光り、
「されど月の帝は、そなたをいたく気に入り給へり」
「なぜに」
「以前そなたより出でし石、月へ戻りて申したる。にょろがわ殿の体内は温かく、居心地よきところなり、と」
にょろがわ、絶叫したり。
「おにょろが庭へ投げし、あの石か」
「さやう。あの者、今や月の石たちの間にて、地上旅行の語り部となれり」
「いらぬことを語り伝へたり」
「月の石ども、皆そなたのもとへ降りたがりてをる」
にょろがわ、青ざめ、電柱にすがりつきたり。
「この電柱も、もしや」
「月より地上へ石を送る道なり」
すると、電柱の奥より、
から。
からから。
ごろごろ。
と、無数の石の転がる音が聞こえたり。
にょろがわ、泣きながら石に訴へたり。
「帰ってくれ」
石、黙りたり。
「月へ帰ってくれ」
石、動かず。
「頼むから、仲間を連れて帰ってくれ。月ならば広かろう。野も山も谷も石ならば、石同士にて仲良く暮らせばよからむ」
「されど、月にはにょろがわ殿がおらぬ」
「我がおらずとも月は回る」
「寂しきことを言ひ給ふな」
「寂しさは水を飲めば紛るる」
そのとき、夜空より一筋の白き光、電柱を照らしたり。
石は宙に浮かび、月へ向かひて昇り始めたり。
にょろがわ、安堵して手を振り、
「達者でな。二度と来るな」
と言へり。
石、空より答へたり。
「必ずまた参る」
「来るな」
「仲間を連れて参る」
「やめよ」
「次の満月を待ち給へ」
「待たぬ」
石は光の中へ消えたり。
その夜より、にょろがわは町中の電柱に耳を当てて歩くやうになりたり。
電柱の内より石の音がせぬか確かむるためなり。
町人ら、
「近ごろ、にょろがわ殿は電柱と話をしてをる」
と噂したり。
おにょろ、これを恥ぢて、
「せめて夜にし給へ」
と言へども、にょろがわは聞かず。
満月の夜ともなれば、水筒を五つ抱へ、電柱の前に立ち、
「月の者どもよ。ここは満室なり」
と叫び続けたり。
その甲斐ありてか、再び石の降り来ることはなかりけり。
ただし、ある朝、電柱の根元に一枚の札が置かれたり。
札には月の文字にて、かく書かれてありけり。
「次回入居、予約済み」
にょろがわ、これを読みて気を失ひたり。
おにょろは札を拾ひ、裏返して見たり。
そこには小さく、
「入居先 左の尿路」
とありけるとなむ。
まことに、月は遠くとも、石の縁は近きものなり。
Published at
2026-07-21 16:24:33 UTCEvent JSON
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